追悼:浅井正美氏

店主のブログではお知らせ致しましたが、7月12日、病気療養されていた、
越前鍛冶の浅井丸勝こと浅井正美さんが、急逝されたとの連絡が入りました。

数年前に癌の手術をされ、その後病と闘いながら、ずっとお仕事を続けて
こられており、この2月神戸で開催されたオールニッポンナイフショーにも
来ておられましたのですが、6月末に廃業されるとの連絡が入り、心配
していた矢先でした。

つい数日前も、奥様にご様子など、お伺いしたところでしたので、驚きとともに
大きな悲しみを感じていました。

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それ以来、浅井正美さんのことを、前から書こう書こうと思っていたのですが、
何から書いていいか、なかなか考えがまとまらず来てしまいました。

先週の土曜日に、ご自宅へ行ってきましたので、そのことから書いてみます。

 

ご葬儀に参列出来ず、とても気になっていたので、やっとお伺い出来、
御霊前にお線香を上げさせて頂きました。

とてもきれいに掃除の行き届いた和室に祭壇が作られ、お元気だった頃の
浅井さんの写真や、ナイフショーなどで受賞した賞状、作品の写真などが
飾られていました。

 

ご遺影の前で、奥様といろいろお話しさせて頂いたのですが、その中で

「インターネットで紹介してもらって、いろんな人に知ってもらうことが出来た。」

と、おっしゃって頂きました。
なんともありがたいというか、私の方こそ浅井さんのおかげで、商売をさせて
もらってきましたので、かえって恐縮してしまいました。

それでも少しでも何かのお役に立てたのであれば、販売者として、こんなに
うれしいことはないです。

 

浅井さんの奥様は、すごく優しくて、本当にいい方で、病院より自宅でと、
希望された浅井さんを、最期までご自宅で看病されました。

随分前から、取引させて頂きましたし、ナイフショーなどでも、私の妻共々
年に何度かお会いしており、刃物造りのこと、病気をされてからのことなど
なかなか話は尽きず、お線香を上げさせて頂いたらすぐおいとましようと
思っていたのが、つい話し込んでしまいました。

 

「他人とは思えんので、また遊びに来て下さいね。」
と言う、過分なお言葉を聞きながら、名残は尽きないまま、辞去しました。

 

浅井さん形見の鎚

こちらは、玄関をはいったところに飾られていた、浅井さん形見の鎚。
柄の部分には、手の型がはっきり付いていました。

 

癌を患われてからも、最期まで仕事場に来ていた、浅井さんの魂が
宿っているような気がします。

 

奥様からは、浅井さんの闘病のご様子なども伺いました。
丁度3年前に、胃に癌があるのが見つかり、胃の3分の2を摘出。
癌も全て取れて、よくなるかと思われた時に、肝臓への転移が見つかり、
その後は、抗がん剤を打ちながら、仕事をされていました。

入院はされず、奥様が病院へ送り迎えされていたそうですが、
抗がん剤治療の返りでも、
「さあ、今日は何食べて変えろ」
と言うほど、食欲も旺盛で、元気だったそうです。

結局一度も、戻したりすることもなく、最期まで仕事場へ出て、がんばって
おられたのですが、いろいろ試してきた抗がん剤もついに効かなくなり、
その後、急に弱られたようです。

ほんとうに、何度思っても残念でなりません・・・

 

ご自宅を辞去した後、「越前丸勝作」の銘を受け継いだ、山本直さんに
お会いするため、工房の方へ伺いました。

浅井打ち刃物工房

浅井さんが亡くなられた後も、その工房の炉の火は、山本直氏により受け
継がれています。

山本直氏による鍛造の様子

山本さんの鍛造の様子なども取材してきましたが、それはまた別の項で
ご紹介致します。

タケフナイフビレッジ

工房訪問の後は、創設者10人の一人として尽力したタケフナイフビレッジへ。

タケフナイフビレッジの浅井正美コーナー

こちらの一角には浅井正美コーナーがあり、非売品として作品や、浅井さんが
紹介された雑誌、シャツなどが展示されていました。

浅井さんのシャツ

浅井さんのネームを入れたシャツ。
最期まで、一鍛冶職人を通した浅井さんらしいデザインですね。

浅井正美作「水鏡」

こちらは、展示されていた「水鏡」(非売品)
オールニッポンナイフショーの最優秀賞にが輝いた作品です。

実は、この作品には、同名の分身のようなナイフがあり、
ショーの後、当店で販売させて頂きました。

浅井正美『越前丸勝作 水鏡』

三層構造のダマスカス多層鋼を二枚重ねて母材とし、さらに白紙を
鍛接して、鏡面仕上げしたカスタムナイフでした。

まだまだいろいろ書きたいこともございますので、また改めて書いてみようと
思います。

浅井さんのご冥福を心からお祈りして、今日はこのあたりで・・・